大判例

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東京高等裁判所 昭和52年(う)1862号 判決

控訴人 被告人

被告人 方洙漢

弁護人 小池義夫

検察官 中川秀

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、主任弁護人小池義夫作成名義の控訴趣意書、控訴趣意補充書、反論書に、これに対する答弁は、検察官中川秀作成名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、ここに、これらを引用する。

所論は、被告人は、建築資材の販売を業とする営業所に使用する目的で、本件宅地の所有者金子ミナの代理人近藤忠雄との間に昭和四七年五月一五日右宅地を目的として同女の生存中もしくは少なくとも四、五年はこれを右営業所に使用させる約定で賃貸借契約を締結し、そのころ右宅地の引き渡しを受けて、以来適法にこれを占有し、しかも、同代理人の承諾、指示を受けたうえ、右宅地上に原判示の居宅、倉庫各一棟及び門扉を建築施工したものであり、更に、同代理人の承諾をえて建築した原判示の事務所の使用について当然必要随件する原判示の排水管及び浄化槽を埋設して下水道施設を施工したものであつて、右建物はいずれも容易に撤去しうるプレハブ建築であり、何らの契約違反はなく、賃貸借の目的に適合するものであるばかりか、もともと本件宅地の占有は被告人にあり、所有者は右引渡しによりその占有を失つているから、同人の占有を侵奪することはありえないし、もとより被告人には本件宅地の占有侵奪の意思もしくは不法領得の意思はなかつたのに、原判決が、被告人の不動産侵奪罪を肯認したのは、事実の誤認、法令適用の誤りをおかしたものである、というのである。

そこで、原判決挙示引用の関係証拠を総合すると、被告人は、昭和四一年一〇月二四日強姦致傷罪で懲役六年に処せられ、服役して、昭和四六年一一月一日仮出獄(昭和四八年九月三日右刑の執行終了予定日)し、近藤忠雄保護司の保護観察に服し、その指導監督、補導援護を受けていたものであるが、昭和四七年四月ころから土木建築資材販売等の事業を企画し、資材置場等それに必要な土地を物色していたところ、同保護司から同人の管理していた原判示の宅地を紹介され、同年五月一五日ころ、同宅地の所有者金子ミナの代理人(同女の財産管理人)でもあつた同保護司との間において、右宅地を被告人の右事業に供する目的で、賃料月八、〇〇〇円、毎月前納払い、期間を昭和四八年七月三一日までとし、ただし、所有者金子ミナ(当審において取調べた同人の戸籍謄本によれば、同人は当時八四歳)の生存中は更新できること、他に転貸しないことの約定で賃貸借契約を締結し、そのころ右宅地の引き渡しを受けてこれを占有し、その宅地上に、昭和四七年七月ころ原判示の事務所一棟を、次いで同年一二月中旬ころ原判示の居宅一棟を、翌四八年一月下旬には原判示の倉庫一棟をそれぞれ建築(いずれもプレハブ建築で、堅固な建物には当たらない)したほか、同月四日には原判示の下水道施設を施工し、同月中旬原判示の門扉を構築したこと、少なくとも右事務所一棟の建築については当時右代理人の資格を有する近藤忠雄の承認をえており、同人は昭和四七年一二月下旬右代理人兼管理人の地位を辞任したことが認められる。

ところで、被告人が右近藤の承認をえて建築した事務所一棟以外の右居宅等の建物、下水道施設、門扉等の建築施工の当時、前認定の賃貸借契約が何らかの事由により消滅していたと認めるにたりる証拠はない。もつとも、被告人作成名義の「念書」と題する書面には、右賃貸借契約は同年一二月三一日限り解消する旨の記載があるけれども、原審及び当審における証人近藤忠雄の供述、被告人の原審及び当審公判廷における供述並びに捜査官に対する各供述調書によれば、被告人は、同月二四日、すでに金子ミナの代理人兼本件宅地の管理人たる地位を辞任した右近藤の指示により、同人が右地位を辞任したことを確認する目的で、同人の口述をそのまま右「念書」に記載したものであつて、これにより右賃貸借契約を解約したものではないことが認められるから、右「念書」の記載をもつて直ちに賃貸借契約が消滅したものと速断することはできない。したがつて、被告人は、右居宅等の建設施工の当時、正当な権原に基づき右宅地を占有していたものというべきである。

そこで、右宅地に右居宅等の建設施工が許されるかどうかについて検討すると、本件土地賃貸借契約書にはこの点について何らの記載はなく、その契約の衝に当たつた原審及び当審における証人近藤忠雄の供述によると、本件宅地は、昭和四七年五月当時、放置された空地で、原判示の道路敷である国有地も含まれていたことから、周辺住民の通行等をめぐつて、金子側との間にたえず争いが生じていたので、金子ミナ及びその代理人である同証人は、右宅地の管理及び周辺住民との抗争を排除することを主目的として、これを被告人に賃貸するに至つたものであつて、右近藤は、被告人の保護司でもあり、被告人に対しては、宅地返還のときは更地にすることを条件に、いつでも取り壊しのできる建物、プレハブ建築なら建ててもよい、とか、門や柵は適当に作れ、などと言つて、被告人と共に右宅地の周囲に鉄条網を張つたりしたうえ、原判示の事務所に被告人が居住することを承認していたことが認められるが、しかし、同証人は、原判示の事務所一棟以外の居宅、倉庫、門扉等の建設施工についてはいずれもこれを承認せず、被告人が一方的にしたものである旨供述しているところである。他方、被告人は、原審及び当審公判廷並びに捜査官に対する供述において、自己の保護司である右近藤から、本件宅地を借り受けて商売をやれ、と勧められて、前認定の賃貸借契約を締結し、同宅地の利用方法については何らの制限もなかつたものの、原判示の事務所及び居宅各一棟の建設についてはいずれも同人の承諾、指示を受けてこれらを建築したものであり、また、右居宅を建設する前後のころ、原判示の倉庫一棟及び門扉の建設施工についても同人の承諾、指示をえたので、昭和四七年一二月その発注をし、翌四八年一月に至つてこれらが建築施工されるに至つたものであること、原判示の下水道施設は、すでに承諾をえて建築した右事務所の使用に不可欠なためこれを設置したものである旨供述し、原審証人福見章の供述及び山田実の検察官に対する供述調書によれば、原判示の居宅及び倉庫各一棟の撤去は、比較的容易であることが認められるものの、他の原判決挙示引用の関係証拠は、いずれも右近藤証人もしくは被告人の供述を裏付けるものであつて、これらの証拠をもつてしても、そのいずれとも決しがたい。しかし、原判決挙示引用の関係証拠によつて認められる諸般の事情、ことに、被告人と近藤忠雄との身分関係、本件賃貸借契約に至る経緯、その契約内容及びこれについての両者の解釈のくいちがいがあること、右近藤が建築施工を承認していないという居宅等の建設工事を現認しながら現実にこれを中止もしくは撤去させる等の適切な措置をとつていないこと、同人が金子ミナの代理人等の地位を辞任するに至つたのは、同女が右近藤に無断で本件宅地の処理を弁護士に依頼したとして同人に不信の態度を示したことについて同女に対する感情的反感が原因であること、その他被告人が前認定のように正権原に基づき本件宅地を占有していたものであることなどをあわせ考えると、本件賃貸借の内容はかなり粗雑な大綱を定めただけのものであつて、その故に、賃借権者である被告人が、契約上不明確な本件宅地の利用関係につき、自己の欲得も加わつて、近藤に諮ることなくこれを自己の有利に解釈し、あまつさえ、右近藤らの適切な制止措置等のなかつたこともあつて、被告人が原判示の居宅等の建設施工につきその供述するようにそれが正権原に基づくものであると信じていたのも無理からぬものがあり、かかる被告人の所為が賃貸人の意思に反し、ついには原判示の仮処分を受けるに至つたものであるにしても、その仮処分は、いずれも右近藤に金子ミナの代理権はなかつたとして被告人の不法占拠を理由とするものであつて、その前提において事実に反するものであり、したがつて、被告人が右仮処分の主文に影響を及ぼさない限度において、更に、すでに近藤代理人の承諾をえて建設した原判示の事務所の使用に必要不可欠なものとして原判示の水道施設を施工し、また、本件宅地の管理上必要と思われる原判示の門扉を建設したのもそれなりに首肯しえないわけではなく、これらの建設施工がたとえ原判決のいうように賃貸借の目的に反するものであつたとしても、それをもつて直ちに不動産侵奪罪にいわゆる侵奪もしくは新たな占有の取得と見られる占有の質的、態様の変化があつたものとは到底解されないばかりか、被告人が右建設施工につき不法領得の意思を有していたものと認めるに足りる証拠は存しないものである。この点について検察官指摘の最高裁判所の判例は「板塀で囲み上部をトタン板で覆つてある他人所有の土地を、所有者の黙認のもとに、建築資材などの置場として使用していた者が、台風による右囲いの倒壊後、所有者が工事中止方を強硬に申し入れたにもかかわらず、右土地の周囲に高さ二・七五メートルのコンクリートブロツク塀を構築し、その上をトタン板で覆い、建築資材などを置く倉庫として使用した行為は、不動産侵奪罪に該当する」としたものであつて、本件と土地占有取得の態様を異にするばかりか、本件においては、被告人のした賃借地の使途の変更が問われているものであるところ、それが占有の質的、態様の変更として右判例にいう侵奪の場合に当たらないことは前に見たとおりであつて、事案が異なるから、本件に適切ではない。ところで、元来不動産侵奪罪は盗罪として不法領得の意思をもつて他人の占有を侵害することを成立要件とし、本件のごとく賃貸借契約に基づき他人の土地につき適法に占有を取得した者については、その占有を失わない限り、民事上債務不履行の問題は起こりえても、不動産侵奪罪に問われることはない。そして、その理は、たとえ賃貸借の期間が終了し、その終了後賃借地を引き続き占有する場合でも同じである。けだし、この場合でも、賃借人において占有を失わない限り新たな占有の取得ということはないからである。以上のことは、賃借人において、賃貸人に無断で契約所定の用途を変更して賃借地を使用した場合でもあてはまる。もつとも、その場合、当初の賃貸借契約が名目上だけのもので、当初から侵奪の目的で賃貸借契約に名をかりた場合又は用途の変更が新たな占有の取得と認められる場合は格別である。そして、記録を調査し、原審及び当審で取調べた証拠を検討しても、本件賃貸借契約は前に示したとおりであつて、被告人が本件賃貸借を契機に本件土地を侵奪もしくはその意図のもとに原判示の所為に及んだと認定するにたりる証拠もない。してみれば、被告人の所為が賃貸借の目的に反するものであつたとしても、それは民事上の紛争解決に委ねられるべきものであり、これをもつて直ちに刑法上の不動産侵奪罪に当たるとして処断することはできないものと解すべきところ、これを肯認した原判決は、事実を誤認し、ひいては法令の適用を誤つたものというべく、したがつて、原判決はこの点で破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い被告事件につき更に判決する。

本件公訴事実は「被告人は、土木建築資材の販売を目的とする大黒商事株式会社の代表取締役であつたものであるところ、昭和四七年五月一五日ころから、同会社の資材置物として一時使用のため、金子ミナ所有の東京都杉並区上高井戸一丁目一三〇番一の一部、一三一番、一三二番一、同番一二、同番一三の各宅地(面積合計七七三・八平方メートル)を期間一年の契約(ただし同年一二月三一日右契約を解除)で賃借していたのを奇貨として、同女の右各土地に対する占有を排除し、右土地上に恒久的な居宅等を建築するなどして同土地全部を侵奪しようと企て、同年一二月中旬ころ、右上高井戸一丁目一三二番一の宅地(面積二二一・三三平方メートル)の上に、右一時使用の約旨に違背して、同女の意思に反し、恒久的な木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅一棟(床面積五一・三一平方メートル)を建築したうえ、同女において、右一三二番一の土地上の建物に対する占有移転禁止の仮処分の法的手段等により被告人が同女の所有地に家屋を建築しその他の工作物を設置することを禁止する意向を表明しているにもかかわらず、同女の右意に反し、昭和四八年一月四日ころ、さきに、被告人が右一三一番の宅地(面積三八六・二八平方メートル)の上に建てた仮設の軽量鉄骨造亜鉛メツキ鋼板葺平家建事務所(床面積一九・八七平方メートル)に、同建物から右土地の北側に隣接する同所一三〇番一の土地東側部分を経てその北側の甲州街道に至るまでの間にわたり排水管および浄化槽を埋設して下水道施設等を完備し、爾後右事務所建物を恒常的に使用することとし、次いで、同月一四日ころ、同所一三二番一二、同番一三(面積合計六六・二二平方メートル)の各南側に隣接する右一三二番一の西側境界線上ならびに同一三〇番一の土地の北側境界線から南方約一二・二メートルの各地点付近に、それぞれ鉄製の門扉を構築し、さらに、同月下旬ころ、同所一三〇番一の宅地(面積二八六・六一平方メートル)のうち、その南側部分(面積約九九・九七平方メートル)に、軽量鉄骨造亜鉛メツキ鋼板葺平家建倉庫一棟(床面積三九・六六平方メートル)を建築し、もつて、金子ミナの所有にかかる右上高井戸一丁目一三二番一および同一三一番ほか三筆の右宅地を侵奪したものである。」というのであつて、これが不動産侵奪罪として刑法二三五条の二に当たるというのであるが、その犯罪の証明がないことについては先に判断したとおりであり、結局被告事件につき犯罪の証明がないから、刑訴法三三六条により無罪の言渡しをすることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 谷口正孝 裁判官 金子仙太郎 裁判官 小林眞夫)

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